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元町1番街について

明治

『元町』が生まれたのは、正確にいいますと明治7年5月20日からです。
神戸開港を機に、全国から人が集まりまたたく間に家が増えたため、誰いとうことなく、「この辺は神戸の元の町や、元町や」と呼ぶようになったのです。
しかし、『元町』の発生はさらにさかのぼり、人皇十代崇神天皇の時代に、生田大神(現在の生田神社)に属する神戸村と、二ツ茶屋村、走水村の三つの村から成り立っていたのです。
三つの村は西国街道をはさむようにして散在し、あたり一面は全て田畑であって、古くは源平に戦いや戦国時代では花隈城の落城をはじめ多くの戦乱のたびに焼きはらわれるなど、幾多の試練を経たのです。

明治イメージ

  • 慶応3年
    神戸開港
  • 2年
    神戸で初めての牛肉屋『月下亭』ができる【すきやきの始まり】
  • 3年
    写真業が初めて開業される
  • 4年
    『瓦煎餅』が考案され、販売される
  • 6年
    一番組、二番組小学校ができる
    後に神東、神西小学校と改称される
  • 7年
    神戸で最初のキリスト教が誕生
    『こうべ元町』の誕生
    『ハイカラ』ムードの元町で賑わう
  • 34年
    『そごう呉服店』神戸支店を相生2丁目から元町5丁目に移転
  • 40年頃
    『神戸三越』が株式会社三越呉服店大阪支店の出張所として営業
  • 41年
    株式合資会社『大丸百貨店』が元町4丁目にオープン
  •  

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神戸開港

横浜開港から10年遅れての開港。開港式では、停泊中の外国軍艦からは祝砲がとどろき、民衆は“ええじゃないか”と歌い踊って祝った。

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すき焼きの始まり

明治6年、神戸で初めての牛肉屋『月下亭』ができ、木造3階建ての店頭で農具の鍬を鍋のかわりに使った肉鍋を売りました。
当時、牛肉は、けがらわしいものと嫌われていましたが、だんだん客も増え隆盛を極めました。
(ちょっとした雑学)
農具の鋤(すき)を良く洗って味噌で土手を作ってその上で焼いたからと言われています。また牛肉の剥身スキミ(薄く切った肉)を焼いたとか、杉焼きからきているという説などなど。
「すき焼き」とはもともと関西地方での呼び名で関東地方では「牛鍋」と呼ばれていましたが、現在では一般的に「すき焼き」として親しまれています。

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「神戸ビーフ」のチョット面白い お・は・な・し

「神戸ビーフ」のチョット面白い お・は・な・しイメージ
開港以前の慶応年間(1865~1867)に、ある外国船が神戸で仕入れた牛を、横浜に運んだところ“横浜の肉よりはるかにうまい!”と評判になり、その後外国人が買い付けに来るようになりました。
その頃の日本では牛などを食肉とすることは、禁じられていましたが、明治4年には「新聞雑誌」で“日本人に覇気がないのは肉食しないからだ!”という外国人の説が採り上げられるようになりました。
そしてそんな風潮に明治5年、朝廷では“中古以来の禁を廃して肉食する”と決めたそうです。
これが神戸ビーフの由来です。
あの伊藤博文さん(初代兵庫県知事)も好んで牛肉を食べていたらしですよ!

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写真業が初めて開業される

神戸村に市田左右太が市田写真館を開く。

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関西のおせんべい

関西のおせんべいは神戸の瓦煎餅(せんべい)のような甘いたまご煎餅(せんべい)が主流で、明治4年ごろ松野庄兵衛が瓦煎餅の元祖を考案したことが神戸の瓦煎餅の起源とされています。

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神戸で最初のキリスト教が誕生

当時は『組合教会』と呼ばれ、前田泰一・鈴木清・松山 高吉の3人が、初めて洗礼を受ける。

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「こうべ元町」の誕生

神戸開港を機に11ヶ町を県令によって統一し、『元町』と呼ぶようになる。

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「ハイカラ」ムードの元町で賑わう

神戸開港後、外国艦隊の兵士や外交官などに提供された 居留地の西に位置していた『元町』は流行の先端を行っていた。

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「そごう呉服店」神戸支店を相生に2丁目から元町5丁目に移転

明治34年4月3日、相生2丁目にあった支店を元町5丁目に移転する。
神戸支店は、もともと外商活動に力を入れていましたが、店員を10数名に 増員して、【店売り(店頭販売)】を始める。
和風の店構えで、店売りは最初【座売り】、後に【陳列販売】となる。
その間に、5回にわたって店を拡張し、昭和8年10月1日、現在の三宮 駅前に移転したが、それまでの元町での23年間は『そごう』にとって、懐かしい時代となった。

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株式合資会社「大丸百貨店」が元町4丁目にオープン

株式合資会社「大丸百貨店」が元町4丁目にオープンイメージ
明治41年6月15日、約90坪の土地に木骨コンクリート製2階建ての、食料品を除く百貨店として、店員35名でスタートし、店員の服装は、所長以下全員が筒袖の着物で、冬は紬織の赤三筋柄、夏は木綿の藍三筋柄を着て接客にあたった。
店内は中央の入口をはさむようにして、両側にショーウインドーを設け、休息室は、太陽光線を取り入れるためガラス貼りの天井になっていた。
現在の『大丸』のマークができたのは翌42年で、現位置へ移転したのは昭和2年3月のことである。

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誓文払い(せいもんばらい)

誓文払い(せいもんばらい)イメージ
日頃商売上の掛け引きで嘘を言う罪を詫びて、天罰を免れる為に、お客に年に一度“大安売り”をすることだ、という説があります。
毎年11月の一週間、紅白の幕を張って特価品を店頭に積み上げて、店員はハッピ姿に赤いハチマキで、威勢よく“買いなはれ、買いなはれ!今年買いそこのうたら、もう来年までこんな安い物はおまへんで!”と威勢のいい掛け声をかけていました。

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  • オリーブ油
    日本に初めてオリーブオイルが渡来したのは、安土桃山時代で、フランシスコ派の宣教師といわれています。
    明治12年にフランスから苗木2000本を輸入し、このうちの600本は神戸にある勧農局三田育種場付属温帯植物試験場に植えられました(後に神戸オリーブ園と改称)。
    神戸オリーブ園の樹は明治15年に実をつけ、日本で初めてオリーブ油が搾られました。
    その後廃園となりましたが、一部の樹は神戸の湊川神社および兵庫県加古川市の宝蔵寺の境内に残っており、これらが日本最古のオリーブの樹であると思われます。
    サイダー
    有馬温泉があった地域の湧き水は“鳥地獄”“虫地獄”と称し、毒水と呼んで恐れられていましたが明治6年、兵庫県庁の調査で良質の炭酸水だと、わかりました。
    その水に香料、甘みを加えて「有馬サイダー」として販売されたのがはじまりです。
    サイダーイメージ
  • 参考文献 こうべ元町100年 元町懐古写真集「道」

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